ひと休みのページ -両国散策-
「トマティスリスニングセンター東京」界隈の両国をお散歩して
紹介します。
<勝海舟生誕の地>
トマティスリスニングセンター東京斜め横にある両国公園内に勝海舟生誕の地碑があります。
勝海舟は文政6年(1823年)1月30日、父方の実家男谷(おたに)家である現在の墨田区両国4丁目に生まれ、青年期までをこの地で過ごしました。1862年軍艦奉行並(ぶぎょうなみ)として神戸に海軍操練所を設け、幕臣だけでなく坂本竜馬を始め優秀な人材を集めました。戊辰戦争で江戸が新政府軍に囲まれた時、主戦派の幕臣をなだめ、新政府側の西郷隆盛との会談による江戸城無血開城により、日本を外国の干渉から救いました。又咸臨丸で日本人だけの太平洋横断(アメリカ訪問)でも有名です。
最近、この地碑に手を合わせて拝んでいらっしゃる方をよく見かけます。
<お江戸両国亭>
トマティスリスニングセンター東京の隣に多くの寄席ファンが集まる「お江戸両国亭」があります。
お江戸両国亭は、昔懐かしい江戸情緒がたっぷり残された街、両国で、風情を残した演芸場として落語を始め、義太夫、小唄、長唄等伝統芸能を中心に、公演や発表会などで使われています。トマティスリスニングセンター東京でも「朗読ワークショップ」の稽古、発表などで使わせて頂いています。又、この地は明治12年(1879年)に11世名人を襲名した伊藤宋印が構えた屋敷跡として有名です。将棋でいう名人は、将棋指しの家元の第一人者が名乗った称号です。
<本所警察署>
トマティスリスニングセンター東京の前に、「本所警察署」があります。
大正12年(1923年)年9月1日に起きた関東大震災では、本所地区の町のほとんどを焼き尽くしました。本所警察署の敷地内には、人命救助の為に殉職した所長以下34人の慰霊碑が建てられています。又昭和20年(1945年)3月20日の東京大空襲でも本所地区のほとんどが廃墟になり、その時殉職した6名も慰霊碑に祭られています。
<吉良上野介 (きらこうずけのすけ) 屋敷跡>
トマティスリスニングセンター東京の玄関を出て左にまがり、さらに両国公園を右手にまっすぐ100メートルほど歩くと、赤穂浪士の討ち入りで有名な「吉良上野介(こうずけのすけ)義央(よしなか)公の上屋敷跡」があります。
元禄15年(1703年)12月14日深夜に旧主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の仇討の為、元赤穂浪士大石内蔵助以下47名が吉良上野介の屋敷に討ち入り、主君の仇を討った元禄赤穂事件は、大佛次郎の「赤穂浪士」や森村誠一の「忠臣蔵」などでも有名です。小さな扉をくぐって公園の中に入ると、表通りの騒音がウソのような別空間が広がります。そこには吉良上野介を奉った小さなお稲荷様や、赤穂浪士が吉良の首を洗ったという伝説のある「首洗いの井戸」が残っている。ここは心霊スポットとしても有名です。